胸の内

祝福の気持ち。



おはようございます。
8月13日。



今日は私信です。
どうしても言いたくて。
でもこの拙ブログを読んで下さっている
8割くらい(いや、もっと?)の方々には
これが何の話だかわかるはず。




AMーさん、CARーさん
おめでとうございます。
最新記事をただただ、
うれしく拝見しました。
いわゆるカミングアウト、
という形を取らずに
こういう表現もあるのだと
希望を貰った気がします。





















CARーさんの ← (カーさんではない)
ブログ再開を熱烈に待望している
ワタクシとツレとワンコちゃんズでした。







今日は何の日。



夕飯は実家で母が作った物を食べた。



『 今日が何の日だか知ってる? 』



と、母に問われた。




今日が何の日だかは知ってるつもり。




でも今日が何の日だかを
今の若者の7割は知らないそうだ。





それは仕方ないような気も
しないでもない。




ていうか
私はもう若者ではないのだな、と
改めて思う。




終戦から50年の夏
私は高校生だった。
私は高校生を4年間やっている事もあり
あの夏に何年生だったのかわからない。



あれは二つ目の高校、
現代国語の怖いお爺さん先生が
終戦50年に対して思う事を書きなさいと
作文を課題にした。




私は何を書いたんだろう。
全く思い出せない。





全然違うのだろうけど
福島の事を考えるたび
広島や長崎を思う。
いや、広島や長崎の事を考えるたび
福島の人々を思う。
全然違うのかもしれないけど。




あと50年くらい経った時
3月11日が何の日だか
わからない若者がたくさんいるだろう。




そう考えて





あと50年も経ったら
私は確実に生きてないだろうな、
と我に帰る。




生きてないのは私とか、
私世代とか
そのくらいの次元ならいいけれど、と




どこか他人事のように思う。




遠いリアル。





…さ、寝よう。




眠れるだろうか。











さよならさえ言わなかった。



他人の夢の話ほどつまらないものは無い




…という自説をふまえた上で
昨夜見た私の夢の話 ← は?




もう付き合いがない昔の友達が
Facebookをやっているのを知って
彼女の近況が知りたいがために
自分もFacebookを始めようか
迷っている夢。





その彼女は6歳年上で
私が15歳の時に
とある場所で知り合った。




15歳の高校生と21歳の社会人で
果たして友情は成り立っていたのか
後から思うと不思議なのだけれど
彼女とは友達だったのだと思う。
彼女との付き合いは
私が20歳を超えてからも続いた。
24歳くらいの時に
ようやくカミングアウトもした。



だけどその頃から段々と
彼女とは疎遠になった。
カミングアウトは
その直接の理由ではない。
私が彼女からの連絡に
返事をしなくなったから。



当時でさえ、ケータイのメールが
世のやりとりの主流になっていたけれど
彼女はいつも手紙や絵ハガキをくれた。
でも、自分でも
どうしても上手く説明出来ないけれど
私は彼女の手紙に一切返事をしなくなった。




それでも彼女は手紙をくれて
その手紙で、
彼女がオーストラリア人と結婚し
オーストラリアに移住する事を知った。




出国前に一度会いたい、
という手紙にさえ
私は返事をしなかった。
結婚の祝福もしなかった。



にも関わらず
彼女はオーストラリアからも
手紙をくれた。
写真付きで。
彼女が金髪碧眼の女の子を産んだ事も
彼女の手紙と同封の写真で知った。



オーストラリアからの
何度目かの手紙を
また何度目かの無視をした結果
彼女からはもう手紙は来なくなった。
最後に手紙が届いてから
8年近く経つと思う。



こうして書いてみて改めて
自分は酷い友達だったと思う。
いや、友達とは名乗れないだろう。
私の無言の行いは
きっと彼女を傷付けただろう。
でもこの文章は
懺悔のつもりで書いているわけではない。





当時に戻れたとしても
私はやはり返事を返さないと思う。
今また会いたい、とも
正直思わない。
酷い私の酷い本音。



でも、
ふとした時に
どうしているかな、と思い出す。



夢の中の彼女は二児の母になっていて
幸せそうなFacebookを発信していた。
それでいい。
そうならいい。




ただそれだけの夢の話。



たいていの別れには
『さよなら』さえないものだな。





ポエムではない。



今日は会いたかった人に会えた。




自分はこんなやつだからとか




自分はどういう人になりたいとか




だけどなれないとか




日がな一日考えてしまう事もあるけれど




自分が本当はどんな人かなんて




他人には全然関係なくて




なりたい人を演じていれば




それが自分という人間の評価になるのだと




改めて知る夜。






後悔のない人生なんてないだろうけど




後悔はしてないと




言える人になりたい




なりたいのなら


 

そう演じて過ごせばいいのだ。




演じるとは嘘であっても


 


やがていつか事実になるだろう。








だから明日も頑張ろう。











謙虚と高慢。




雨が降り出す前に散歩に行った。




今の季節はどこでも紫陽花が満開だ。
でも私は正直、
紫陽花(一般的な西洋アジサイ)が
あまり好きではない。
正確に言うならば
紫陽花の枯れ方が好きではない。





でも、
額紫陽花(ガクアジサイ)は好きだ。






















小さな小さなその花を
蝶達が守っているみたいに見える。





西洋紫陽花の花言葉が
『 高慢 』であるのに対して
(他にもたくさんの花言葉があるが)
額紫陽花の花言葉は『 謙虚 』




『 謙虚 』
それは私が憧れてやまないものだ。
そして多分、なれないもの。




こうして書けば書くほどに
それは遠ざかっていくという皮肉。




















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