夕飯は実家で母が作った物を食べた。



『 今日が何の日だか知ってる? 』



と、母に問われた。




今日が何の日だかは知ってるつもり。




でも今日が何の日だかを
今の若者の7割は知らないそうだ。





それは仕方ないような気も
しないでもない。




ていうか
私はもう若者ではないのだな、と
改めて思う。




終戦から50年の夏
私は高校生だった。
私は高校生を4年間やっている事もあり
あの夏に何年生だったのかわからない。



あれは二つ目の高校、
現代国語の怖いお爺さん先生が
終戦50年に対して思う事を書きなさいと
作文を課題にした。




私は何を書いたんだろう。
全く思い出せない。





全然違うのだろうけど
福島の事を考えるたび
広島や長崎を思う。
いや、広島や長崎の事を考えるたび
福島の人々を思う。
全然違うのかもしれないけど。




あと50年くらい経った時
3月11日が何の日だか
わからない若者がたくさんいるだろう。




そう考えて





あと50年も経ったら
私は確実に生きてないだろうな、
と我に帰る。




生きてないのは私とか、
私世代とか
そのくらいの次元ならいいけれど、と




どこか他人事のように思う。




遠いリアル。





…さ、寝よう。




眠れるだろうか。