最近、調子に乗っては
二人の馴れ初めやら
知り合った頃の話やら
ツレの人柄について
いろいろ書いているけど
書けば書くほど
ツレがどういう人なのか
正直よくわからなくなる。




なのでツレに
『私がどんな人だかわかってる?』
と聞いてみた。



ツレは
『5歳児みたいな行動をするのに
実はオトナでよくわからない』
と答えて来やがった ←
いや、大人ですが。



でも、そういう答えで
私はかえって安心した。




例えば20年くらい前に
誰かにこの質問をしたとして
『わかってるよ』とか言われたら
私はすごく嬉しかっただろう。
いたく感激して
相手をもっと好きになっただろう。
だけど、今それを言われたら
逆に何だか胡散臭い。



人が人を全て理解するのは
私は不可能だと思う。
いつもスタートは不可能前提で
だからずっと
進み続けられるのではないか。
もし分かり合うのがゴールなら
そんなゴールは幻だと私は思うし
そんなゴールはなくていいと思う。




16年近くずっと
融け合うように一緒にいても
実際、融け合う事は不可能で
私はツレをよくわかっていないし
ツレも私をよくわかっていない。



誰でも本当にいろんな面があって
その一面、あるいは
三面くらいしか見ていないのに
あの人はああいう人だとか
私はこういう人が好きだとか
私はこういう人とは合わないとか
勝手に自分でジャッジを下す。
もちろん私自身もそうしがち。




でも大好きなその人の
大嫌いなあの人の
自分は四面、いや七面くらいは
知っているつもりでも
本当は百面くらいあるかもしれない。
それがいくつあるのかすら
誰もわかりようがないし
誰も見る事は出来ないだろう。




けれど人は想像する事が出来る。
思いやる事が出来る。
今見えている面をちゃんと認めながら
もっとあるのだと想像することが
不可能な理解を
少しは、ほんの少しは
可能に近付けるのかもしれない。




わかってくれていないと
不貞腐れないように。
わかっているのだと
奢らないように。
わかり合えているのだと
溺れてしまわないように。





もっと知りたい、理解したいと
いつのまにか思っている、
その気持ちが何より尊い感情で
実際わかり合えるかどうかなんて
絵に描いた餅並みの幻だと
思ったり思わなかったり ← どっちだよ




それって
恋人や夫婦だけの話でなく
人は人に対して、みんなそうなのだと
思ったり思わなかったり
思い込んでみたり←



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2016年7月28日19時の西の空。
明日はきっと、今日よりいい日。






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毎度、なんのこっちゃの話である。