おはよう、5月8日。
芍薬が見頃だ。
これは数日前の代々木公園で撮った。
今日はその代々木公園でパレードの日。
例によって行かないが。
昨日のフェスタも、休みだったけど
やはり行かなかった。
まあ、私の事だからそうだろう。
で、パレードの前に
今日は母の日なわけだが。
親孝行とか親思いとかって
一体どういうものなのかと
最近考える。
言葉ばかりが一人歩きしていて
その実体が見えない。
何日か前の記事で
好きになれない人を尊敬できない
と書いた気がするけれど
それは違っていた、とすぐに気付いた。
私は母を尊敬はするけれど
好きにはなれない。
好きになろうとも思わない。
でも嫌いなわけではない。
憎いわけでもない。
母はやはり母なのである。
幾ばくかの愛情と
五月の蝿のようなしつこい後ろめたさと
生温い自己満足が
マーブルチョコのアイスみたいに
甘ったるく混ざりあって、
でも混ざりきらないまま
ドロドロ溶けて
私の中に溜まっていく。
溶けたアイスほど不味い液体はない。
消化し切れないまま、
私の中に溜まっていく。
そして腐敗していく。
私が私の母だったら
私はどうするのだろうか?
という
全く意味のない仮定について考える。
親不孝でいいじゃないか。
どう生きたっていいじゃないか。
何故か最近、そう思ってしまう。
母の日に
そんな事を考えながら
スマホでレストランを予約する。
母の日だから。
ハハノヒダカラ。
さて、冒頭の芍薬の花。
『立てば芍薬、座れば牡丹
歩く姿は百合の花』
というように美人を例える花である。
いろんな花言葉があるのだが
私はこの言葉を採用したい。
『生まれながらの素質』
良くも悪くも
生れながらと言われたら
変えられなくても仕方がないと
開き直れるというものだ。